なぜsetsubismを掲げるのか?
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1価値観
2010 年(設立44年期)入社
周りを見渡すと、生まれ育った場所も、専攻学部も違うもの同士が、同じ職場ではたらいている。運命、偶然、成り行き…? 経緯はそれぞれ違っても、今は同じ方向へ向かって歩んでいると感じる。目的地が同じということではなく、お互いにどこを目指しているか、共通のよりどころのようなもの、芯とか核とか言われるものを感じる。これがしっかりしているかが、仕事への姿勢を整えるのではないか。setsubismは芯や核となるもの、格好良く言えば、「価値観の共有」を築くものと思っている。
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2連帯感
2012 年(設立46年期)入社
協働といえば、コミュニケーションが大事と言われる。現場にいると、沢山の人と関わり合いながら、社員は自分だけ、監督や責任者の立場は孤独感を感じることも多い。サッカーを見て気づいたこと。現場をピッチと見立てれば、仮囲いの中にいる人全てがプレーヤーであり、それぞれが輝いて、お客様に喜んでいただける成果を提供できる。限られた時間(工期)、限られた場所(現場)で、一つの成果を目指す、この連帯感を感じると、力が湧いてくる。setsubismは、この「力」の源であると思う。
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3競い合い
2014年(創立48年期)入社
すべてが初めての経験の連続。誰にも分る失敗はともかく、何が失敗かも分からず、経験を重ねることで、こうした方がもっと良かった、と思う「失敗」に気が付く。終わりよければ、ではないが、結果でしか見えないものがある。また、それぞれ異なる現場は比較のしようもない。しかし、自分の中ではしっかり比較もできる、評価も下せる。前の現場よりさらに、以前できなかったことに挑戦・・・。これは自分の中での競争といえる。なぜ、setsubism?自分を駆り立てるものだから、と言いたい。